こんにちは、Pythonエンジニア育成推進協会 顧問理事の寺田学です。私は試験の問題策定とコミュニティ連携を行う立場です。
Pythonの生みの親であるGuido van Rossum氏。彼の名前だけは知っているという方は多いと思います。
当協会の試験であるPython3エンジニア認定基礎試験の主教材「Pythonチュートリアル」は、もともとGuidoさんが書かれた公式ドキュメントを、オライリー・ジャパン社が日本語に翻訳して発刊しているものです。いまでこそPythonはPython Software Foundation(PSF)をはじめいろいろな方が関わっていますが、実はチュートリアルの著者はずっとGuidoさんです。
そんなGuidoさんが先日、2023年度公益財団法人NEC C&C財団「C&C賞」を受賞し、11月30日に彼を招いたインタラクティブ記念講演会が開催されました。
私はPyCon JP Associationの一員としてこのイベントのお手伝いをしてきたのですが、そういえばGuidoさんについて今まであまりお話したことが無かったなと思い、今回、改めてGuido氏という人についてお話したいと思います。
Python生みの親Guidoさんの素顔
Guidoさんはオランダ出身のアメリカ在住エンジニアで、GoogleやDropboxなどの企業を経て、現在はマイクロソフトに所属しています。
30年ほど前にPython開発をはじめ、2001年にPSFが立ち上がり、現在のライセンス体系に移行しました。
Guidoさん自身はBDFLという立場でPythonの仕様最終意思決定者として長年立ち続けてきました。
彼自身の人柄のよさやエンジニアリング力の高さから、多くの人に尊敬され、またコミュニティから愛されており、20年以上、最終意思決定にいてもなお、辞められるのは困ると言われたほどの人です。
ちなみに、ご本人はおそらく覚えていないと思いますが、私自身は2019年のPyCon USでのポスターセッションに来てもらったことがあり、その際も一緒に記念撮影しています。
Guidoさんの人柄としては、非常に気さくなユーモラスな方という印象です。
私自身もそうでしたが、初対面の人のほとんどがPythonの作者であることなどを含めていろいろ考えた結果、近寄りがたい人なのではないかと思っているようです。ただ実際に会ってみると、気さくに接してくれますし、率直な意見も含めて、たくさんの言葉をかけてくれます。
実は、GuidoさんはPyCon USに特別な参加者というより、一般の参加者として普通にいろいろなブースやセッションを見て回っていますので、会いたいならPyCon USに行くのが割とおすすめです。Guidoさんを見つけた参加者がGuidoさんを取り囲んでいるため、どこにいるのかは一目瞭然なのでとても見つけやすいと思います。
GuidoさんとPythonの歴史
Pythonの生みの親であるものの、ライセンス上の都合もあってPSFにライセンスを移行し、今に近い体制でリリースされるようになりました。
PSF移行後、2000年代前半から、Python2.0がリリースされ、以降は一定の継続性をもってリリースが続けられており、2023年となった今ではPython3.12がリリースされています。
Guidoさん自身は2018年まで、BDFLというPythonの仕様を決める最終意思決定者でした。
現在、Pythonの言語仕様は5名のSteering Councilによって決められます。Steering Councilは任期があり、毎年選出されます。GuidoさんはBDFL引退後、最初の年はSteering Councilの一員として残りました。
Pythonの言語仕様はまず、PEP(Python Enhancement Proposal)と呼ばれる提案書が作成され、Steering Councilの承認をもって機能として搭載されます。機能を決める際、簡単に決まるものもあれば、ディスカッションが必要になるものもあります。かつてはこの承認・決定はGuidoさんのみが行っていました。(参考:PEP 8016 – 運営評議会モデル|Python の機能強化の提案)
Guidoさんと引退宣言の真相
2018年、GuidoさんによるBDFL引退宣言にPython業界には激震が走りました。
これはPythonをずっとやってきた人にとっては大きな衝撃で、Guidoさんが離れていかないか気になっていた人は多かったと思いますし、離れては困ると考えていた人もたくさんいました。
ちなみになぜ当時、引退するという話になったのかというと、言語仕様に対して物議をかもした案件があり、このディスカッションを経て燃え尽きてしまった感覚があったのだそうで、他の人が責任者として入るのも必要なのではないかと考えた結果の末の発言だったということでした。
当時のことを語ったGuidoさんの発言で印象的だったのが、「子供が家を出て大学に進学するような感覚を抱いていた」という言葉です。
これはアメリカ人のニュアンス的な部分もあるので正しく訳せているかわかりませんが、アメリカ人にとって、大学に進学するときは大抵、家から通わず、一人暮らしや寮暮らしをするそうなので、いわゆる「親離れ」という表現に近いものなのではないかなと思います。
BDFLという立場に立ち続けた彼にとって、Pythonはまさしく子供のような存在だったでしょうし、これからどんどん直接的にかかわることが減り、自分の手元を離れていくものだと感じていたのだと思います。
Steering Councilの一人として立っていたことを考えれば、もしかしたら一人でずっと抱えているのが辛かった側面もあったのではないかとも考えています。
その後、Doropboxに所属していた2019年に職業プログラマ引退を宣言しています。
が、先般のコロナ禍によるパンデミックのさなか、GuidoさんはPythonをもっと速くする方法を思いついたらしく、職業プログラマとしてマイクロソフトで再出発することとなったようです。
これについては「ちょっと暇だし、思いついたし、またPythonやろっかな」というような茶目っ気のある発言だったような印象があったような気がしていますが、何はともあれ、いまはPythonのスピードアップを含めたコアな部分に取り組んでいるようです。
Guidoさんと日本のイベント
日本でコミュニティやカンファレンスを運営している立場からすれば、Guidoさんに日本に来て欲しいという思いはありますし、実際に依頼を出してきました。これは他の多くの国でも願っていることだと思います。それだけ、Guidoさん自身の人気が非常に高く、いろいろな話を聞きたい人が多いです。
ですが、Guidoさんの様子を拝見していると、いろいろな国に行くにも体力的に大変だという事もあって、あまり望んでいないのではないかとこれまで感じていました。
ただ、今回、そんなGuidoさんが公益財団法人NEC C&C財団「C&C賞」を受賞され、日本に招待されたました。そこで、この賞の関係者である、東京大学AIセンターや情報処理学会、日本ディープラーニング協会、NEC主催のもと、Guidoさんの記念講演会が企画され、11月末に実施されました。Guidoさん自身はアジア地域に出向くという事があまりなく、それを考えれば日本に来て講演をしてくれたことは記念すべき嬉しいイベントだったと言えます。(参考:Guido氏インタラクティブ記念講演会)
どんな話があったかはレポートや動画が公開されていますので、参考リンクを確認してもらえればと思いますが、Guidoさんご本人の希望やご本人にかかる負担を考え、一方的に話を聞く講演のスタイルではなく、QAセッションやライトニングトークを見てもらってその場で直接話を聞いていくというイベントにしました。
私はPyCon JP Associationとしてお手伝いしつつ、1時間半ほど参加してきました。
ここでの話を聞いていてやはり思ったのは、良い人という一言に尽きます。イベントでは、いろんな話を聞いてもらいましたが、その際のQAがとても丁寧さを感じるものでした。
正直、中には専門外のこともあったと思いますが、それでも、昔話を交えながら、とにかく真面目に、どんな質問でもきっちり答えてくれました。
参考リンク:
最後は撮影会をして終わったのですが、ここで告知。
Guidoさんの著書であり、当協会の基礎試験の主教材である「Pythonチュートリアル第4版」にサインをいただきました。この本を12月20日に開催するイベント「Pythonとデータ分析で初学者から中級者になるためのセミナー+懇親会」のオンサイト参加者の中から、1名にプレゼントします。ぜひご参加ください。